メディアに掲載されました

6月から7月にかけてエルグデザインがメディアに掲載されましたのでご紹介させてください。 先ずは「プロダクトデザイン年鑑2009」
エルグデザインがプロダクト年鑑2009に掲載されています

今回は、緊急だったので写真が間に合わず反省点の多い掲載になってしまいました。
来年にリベンジ!
次は青梅商工会議所の広報誌「newsおうめ」6月号 冊子の中頃に1ページで掲載していただきました。
エルグデザインデザインの活動も、少しずつ地域にご理解をいただけて来たのかな。
担当記者は皆川さん。28歳、地元を愛する若者です。
G-SHOCKの名前は、一見してインパクトがあるという事で全面に出していますが、この掲載をきっかけに地域の製造業の方々に、プロダクトデザイナーの存在を身近に感じていただければ嬉しく思います。

最後は西多摩新聞7月3日号、2面の「トップの顔」です。
記者は同じく28歳、記者魂を持つ沖永さん。
掲載内容に多くのスペースを取っていただいたので、 エルグデザイン:二階堂隆が製造業の皆様にお伝えしたかった事が 紙面を通じて伝える事ができたように感じています。

以下の掲載写真は沖永さんの撮影です。 ノッポの沖永さんが更に台に乗って、2m以上の高さから撮っているので 新鮮なアングルになっています。
撮影ポイントは、ほとんどメモ置き場と化している私のドラフター。 エルグデザイン二階堂隆と美子が西多摩新聞に掲載された写真

「デザイナーをもっと身近に感じて欲しい」と話す二階堂代表(右)とパートナーの美子さん
以下,主要文を掲載致します。
トップの横顔(エルグデザイン:二階堂隆代表)  カシオ計算機在職中はデザイナーとして腕時計の大ヒット商品、「G‐SHOCK」開発プロジェクトチームの一員として活躍した。二階堂隆代表は「開発当初『当時主流の軽薄短小な腕時計』とは対照的な『重厚長大、ごつくて大きい時計』は、社内でも評判が悪く、全然注目されていなかった」と、笑いながら開発当時のエピソードを話す。  「男性への潜在的なニーズはある。絶対うける」。二階堂代表ら3人のプロジェクトメンバーは根拠のない自信で俄然燃えていた。「社内から注目されなかったことで、のびのびと自由に仕事に専念できた結果G‐SHOCKが生まれた」という。  何事も型にはまらずマイペースな二階堂代表は「時計以外のデザインにも挑戦したい」とデザインの本場イタリア、ミラノへの修行を希望。退職を決意するも、向上心をくみ取ってくれた上司が、当時制度のなかった会社から派遣の許可をとってくれた。 「最初に入った大学も親に相談せずに3カ月で辞めて、多摩美術大学のデザイン科を受験し直した」との事。友人がデザイン学科に進学したのを聞いて「自分が本当にやりたい事に気付いた」という。  1987(昭和62)年、青梅市今寺の緑豊かな住宅街にエルグデザインを設立。医療機器から日用品まであらゆる製品のデザインを手掛けている。1回2時間程度のアドバイスをする、無料デザイン診断サービス制度も導入し、中小企業のモノづくりを応援している。 日本企業の99%が中小企業。「基本に企業の技術があり、デザイナーがサポートしてこそ良い商品になる」と大手には出来ないオリジナル技術の発掘を目指している。 「消費者の目線とエンジニアの思いを合致させるのがデザイナーの仕事。デザイナーが関わることで完成度が上がりお客様の購買意欲が出る。商品の潜在需要の開拓が大事」と力説する。 音楽が流れる明るいオフィスでデザイン創作活動をする一方、日本工学院テクノロジーカレッジの蒲田校や八王子校でデザイン科の講師を務め、講演活動にも力を入れる。今後の夢は、定年退職した志の高いデザイナー達と組んで、地域製造業へのデザイン普及活動に取り組みたいと話す。 身近な存在として「町のデザイン屋さんになりたい」と話す二階堂代表の型にはまらない発想から、G‐SHOCKに続くヒット商品が生まれる日もそう遠くはない。 沖永知謙 Erg Design Newsへ 

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コメント

  1. ヌマヤン より:

    「定年退職した志の高い工業デザイナーと組んで」・・・メモしておこうっと(^^)

  2. ヨシコ>ヌマヤン より:

    当然、メモっておいてください。
    そしてその時は青梅地方に戻って来てくださいね!

  3. gop より:

    昨日は宇宙ステーション奇麗に見えましたよ。
    さて、定年まで持てば良いですが…

  4. ヨシコ>gopさん より:

    近年は天の川でなく宇宙ステーションで七夕ですか。
    定年後のgopさん、頼りにしています!