京都旅行の後、体調が今ひとつだった母ですが、病院にて「心不全」という診断を受けました。
「最悪は手術もあり得ます。よく無事に旅行に行って来れましたね。」というお医者さんも驚く母の強運に感謝します。
電話にて「もう充分良く生きたから、私の死に目に会えなくても後悔しないで」と言う母。
しかし思い起こせば、その言葉は私が18歳で東京の大学に行く時から始まって母が大病した時など、これまでに何度聴いて来た言葉だろうか…。 (^-^;)..
ところで親の死に目に会うという事にどんな重要性があるのだろう。
死に目に会う事が孝行で、会えない事はそんなに不孝なんだろうか?
母自身は、両親の死に目には会えなかったはずなので、それを後悔していたのだろうか?
たまたま私達は、両父の死に目どころか、飼い猫の死に目にも会えないままだった。
それは臆病な私にとっては、息も絶え絶えの最期の様子を記憶してしまうより却って良かったと思ってる。
この世を去る瞬間に私達が側にいなかったから、父や猫達が私達を恨んでいるとも思えない。
少し淋しかったかもと思うと、胸がチクリとするけれど。
母は、ただ「自分の死を悔やむな」という事を伝えたいのだろう。
それを伝えた事で、母自身が悔いから解放されるのだろう。
その後、一週間の薬物療法でかなり体調が改善して来た母は 食欲増進のため、ワインを飲みながら食事している程で至って元気。
この調子だと、通院のみで行けそうです。
「お前は、もう少し見届けてからおいで」と父が言ったような気がします。
2014年12月7日。
サンシュユの実は天を赤く染め。 落ち葉は、道を黄金に染めていました。
コメント
おお、そうだったんだ~。でも大したことがなくて良かった。
私はよっちゃとは反対で父の最期も愛猫の最期も看取ってる。そういう運命ってあるのかもしれないよね。
私は愛猫の最期のときは、私が会社に行っている間に息絶えてしまったらそれがそれできっと一番いいことだったんだ、看取れたのならそれがそれで一番いいことだったんだ、つまり結果がベストだったのだ思うことにしたんだ。
母の最期に立ち会えるかどうかはわからないけど、それも立ち会えても立ち会えなくてもそれがベストだったのだと思うことにするよ。
ああ、びっくりした、題名を見て腰を抜かしそうになったよ。
お母様、大変だったね。それより旅行中に倒れなくて良かったわ。
心不全は良い薬もあるし、うちの患者さんたちにも何人かいるけど、皆元気だよ。
でもこれから寒さが本番だし、気を付けなきゃね。
親に死に目に会えるって人は、あんまりいないんじゃないかな~
うちのジジババたちも親の死に目には間に合わなかったし、
オスカネの父が亡くなった時も、今日は大丈夫だからと家に戻った時だったしね。
うちも、ヨシコちゃんちも、せっせと親孝行してるから、死に目に会えなくても、親は文句いわないよ、いや言わせない!
うちの親二人も夫々一人住まい、どうなる事やら。
今日友人達と今年は喪中葉書が少ないって話をしてました(次は我々の番…)
急に冷えて来ましたね、ご自愛下さい。
ナオチャは、ミュウちゃんだけでなく
おじさんの最期にも立ち会えたんだ..。
それは、勇気と覚悟がいったよねえ。
いつかは別れの日が来るけれど
それまでの関係に悔いがなければ
最期には立ち会えても、立ち会えなくてもベスト。
それが一番良いんだよね!
ビックリさせて、ゴメン!
心臓に悪かったかしら。(^-^;)..
薬剤師さんに、「心不全には良い薬もある」と
言ってもらえると、心強いなあ。
母も、最初の薬からは少しずつ弱い薬になって来たみたいだよ。
カネゴンは今から同居してせっせと親孝行してるんだから
どっちにしてもご両親は大満足に違いないよ。(^.^)v
毎年、元の同僚で早世の方がいらっしゃいますものね。
こればっかりは運命だから仕方ないけれど
まだまだ親が健在なうちに、我々の番でも困ります。
気持だけでも元気に生きましょ。