緊張と動揺と水彩画

この週は、3年ぶりの乳がん検診を受けたり、先週受けた健康診断の結果発表があったりする中、友人のご主人が60歳の若さでご病気のために亡くなられたとの知らせがありました。

W杯決勝トーナメント・ベルギー戦では興奮しまくり、オウム事件の死刑執行という闇まであって、ビビリの私としては何かと動揺する事の多い日々でした。

おかげさまで私たちの健康に問題はなく、また日常が続きます。

日常のありがたみは、こう言う時こそ実感します。 時々の動揺や緊張は、日常への感謝のために必要なのかもしれません。 W杯決勝トーナメント1回戦敗退はとても残念でしたが、侍ジャパンは美しい印象を残して去りました。

問題のグループリーグのポーランド戦ですが、一旦方針を決めたら不恰好でも理想形でなくても、信念を曲げないのも強さです。

人からの意見や出来事にフラフラと心が揺れてしまう私としては、大いに考えさせられる出来事でした。

今週の私の水彩画「塩船観音寺」は様々な動揺の表れか、もはや方向を見失い収拾がつかなくなった失敗作です。 「スランプだ〜!」とニカさんにグチったら、「スランプになるほど描いてないぞ。」と返されました。

二階堂美子の水彩画:塩船観音.jpg

対してニカさんは、先週末に「フィレンツェ・カフェの風景」を描き上げました。 順調に腕を上げている感じが、悔しいです。

二階堂隆の水彩画 フィレンツェのカフェ.jpg

本日の午前中はマダムや達と、友人のお母様のお悔やみに伺い、その後は多摩川まで、水彩画のモチーフ探しに出かけました。 これはモチーフではなく、腹ごしらえ。^-^)

ごろうの蕎麦.JPG

期待したほどの光がなくて、なかなか良い景色に出会えませんでした。 あれこれ奮闘中のニカさんです。

風景画用の写真撮影.JPG

私の水彩画はただいまスランプ中ですが、成果に惑わされず、平凡な努力の積み重ねを楽しみながら、少しずつでも自信をつけられれば良いなぁ…。と、のんびり構える事にしました。

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コメント

  1. 直子 より:

    おお、健康診断の結果、なんともなかったんだ。
    良かったねえ~。
    これでまた安心して日常が送れるね。
    それから水彩画、どこがスランプなんだ~。
    額に入れて飾っておきたいくらいだわ。
    台風の影響はどうかな?
    こっちはなんともなかったが南信の方が大変だったみたいだよね。

  2. ヨシコ> ナオチャ より:

    おお、ナオチャ、今ナオチャのブログを読んでいたところだよ。
    心配してくれてありがとうね。
    健康診断は、行政によっても色々あるから、
    簡単なのでも受けておけば日々の安心材料になると思う。
    心配しているより、スッキリするしね。
    地震も大雨も続いて、被害も出ていて落ち着かないね。
    取り敢えず、今日の無事に感謝だね。

  3. カネゴン より:

    今日は色々お世話様でした。
    あれから多摩川まで行ったんだね。
    私らはババーズの所に行って買い物して帰ってきたら、
    何だか蒸し暑く、茶々丸も寝てばっかりだし、ブログネタもなく、
    だらけて終わっちゃったよ。
    塩船観音の絵は、ぼけ封じのお堂だよね。
    これは失敗、成功より描くことが大切!

  4. アトム より:

    ウチのカミさんも数年前乳癌の疑いで再検査
    もうこの世の終わりのようなたじろぎようでしたよ
    水彩画で暗い場面は難しいですよね
    色を重ねて暗くするとドツボに嵌る気がします
    ニカさんは屋外光線だとさすがサクッと描きますね~

  5. ヨシコ>カネゴン より:

    こちらこそ、今日もお世話になりました。
    同世代の親についての話を聞くのは、為になるね。
    ついつい自分の身に置き換えて耳を傾けちゃいました。
    カネゴン達も、あの後ハハーズ孝行をしてきたんだね。
    偉い!でもやっぱり少し疲れたんだよ。
    茶々丸と一緒に、日曜日ぐらいは
    ゆっくり眠ったほうが良いよね。
    ウチは御嶽駅から沢井まで、水彩画のモチーフを求めて
    歩いたけど、結局、腹ごしらえが
    メインになっちゃった。(*^^*)

  6. ヨシコ>アトム より:

    乳がん再検診の恐怖、私も経験あり
    お察し申し上げます。
    検査も回を重ねるに連れて、少しは慣れてきて
    いるものなのかどうか。
    そうなのです!
    暗い色を重ねてしまって
    汚くなってドツボにはまっているのです。
    これも回を重ねるにつけ、
    少しは慣れて来るものなのだと
    期待することにします。